19世紀のロンドンから出る主要な道路は、ターンパイクシステム(有料道路)で運営されていました。旅行者は通行料を支払ってバイパス道路を利用していたんですね。
1813年に全長1マイルの有料道路(イラスト右側)が開通するまでは、ハイゲイト村(イラスト左側)を通る急な坂道が主要道路として使用されていました。
ナイフボード(Knifeboard)、1860年
屋根の上の背中合わせの長い座席が、ビクトリア朝のナイフを洗浄または研磨するための板(knifeboard)似ていることから、この名が付けられました。
乗客は背もたれの鉄のはしごを登って外の座席に座りましたが、特にスカートの長い女性にとっては難しいものだったようです。
馬車が闊歩するロンドン市内の道路には、馬糞がたくさん落ちていたのだそうです。
馬バスの運転手のムチ
下手な運転手ほど馬を強く叩き、優秀な運転手は馬を軽くたたく程度だったそうです。
当時のバスの運賃は決して安くなく、利用できるのは中流階級の人々でした。それでも、当時のロンドンのオムニバスは年間4,000万人以上の乗客を乗せていたそうです。
バスの車内には人がぎゅうぎゅう詰めに押し込まれています。
一部の会社が独占していた路上での客拾いは廃止され、1839年ごろのロンドンでは620台の認可されたオムニバスが走るようになりました。
1851年の万国博覧会は、地方や海外から何千人もの人々がロンドンに押し寄せ、オムニバスの交通量が大幅に増えました。
クリスタル・パレス
万国博覧会のためにハイドパークに建設された、ガラスの大建造物「クリスタル・パレス」。万国博覧会の開催期間はわずか6ヶ月間でしたが、600万人以上の人々が訪れました。
今回のその①ではここまで!
写真・紹介する展示物が多いため、次回その②の記事に続きます!
カフェ
お土産売り場に併設されているこちらのカフェでは、軽食・飲み物を取って休憩することができます。
イスが、電車の座席になっているのがたまらないですね!(*’▽’)
足元には線路が敷かれています。子供も大人もワクワクしてしまいます。
各テーブル上に貼ってあるQRコードを読み込むことで、スマホから注文できます。
口頭で伝えなくても注文できて、英語が苦手な観光客でも簡単に注文できるのは便利ですね(*’▽’)
食べ物・飲み物の写真もあってわかりやすいです。
カプチーノには、ロンドン地下鉄のシンボルマークが描かれています。
ロンドン地下鉄「hammersmith & city」線の名がついたこちらのサンドイッチ。
路線のカラーがピンクだから、ハムがたっぷり挟んであるのでしょうかね(;’∀’)(笑)
その他にも路線の名前がついた商品がいくつかありました。
カプチーノとハマースミスサンドイッチを注文しました。
サンドイッチは、出来立てアツアツ、美味しかったです♪