アッシリア帝国時代(紀元前900年〜612年頃)は、扉や門は良いもの・悪いものが入ってくる所として重要視されていたそうです。
建物の入口には幸運を呼ぶとされる名前を付け、儀式が行われていました。この時代の重要な宮殿の入口の両脇には、様々な形をした巨大な像が飾られていました。
鷲頭の魔除けの守護霊が描かれた石壁(865-860 BC)
ニムルドのニヌルタ神殿より
魔除けの守護霊が描かれた石壁(865-860 BC)
オソルコン2世の神殿レリーフ(紀元前874-850年頃)
オソルコン2世(Osorkon II)は古代エジプト第22王朝の第5代ファラオ。
蛇の女神ウジャト(Wadjyt)に、クレプシドラ(水時計)を捧げるオソルコンの姿が描かれています。神から授かった王の権力を更新する儀式の様子。
隣には、オソルコンの妻であるカロマ王妃が立っています。王妃は太陽神をあしらった羽冠をかぶり、払子とヒエログリフにおいて生命のシンボルであるアンクを手に持っています。その豊満な体型は、当時の女性の理想像を反映しているのだとか。
メリモースの石棺(紀元前1390-1352年頃)
アメンヘテプ3世の元で40年仕えたメリモース(Merymose)。王の書記や財務省の監査官など様々な役職をこなしていたそう。
メリモースのミイラは、この石棺の中に入っており、石棺は2つの大きな石棺の中に入っていました。石棺の表面には、神々をかたどった装飾が施されています。
メリモースは、ソレブ(現在のスーダンのヌビアにある古代の町)に王の大神殿を建設することを任され、神殿の装飾にはアメンヘテプの第一次治世の祝祭(セッド祭)に出席するメリモースの姿が描かれているそう。
相当、王からの信頼が厚かったのでしょうね…40年も人生をかけてお仕えしたわけですもんね(;’∀’)
ホルエムヘブ王とアメンラーの像(紀元前1323-1295年頃)
碑文によると、今は首が無くなってしまっている方がホルエムヘブ(Horemheb)、一方が豊穣を司る神であるアメンラーであることが記されています。
ホルエムヘブは、エジプト第18王朝最後のファラオ。
この像はツタンカーメンから譲り受けたものとのこと。ツタンカーメンの短い治世のほとんどは、ホルエムヘブが摂政兼総司令官として指揮をとっていました。この時期、アメンラーを中心とする像が数多く作られたのだそうです。
採石、石材加工、彫刻
古代エジプトでは、柔らかい石や硬い石の加工方法、かなり大きな石のブロックや彫像を運ぶ方法が既に発見されていました。
当時、建築や彫刻によく使用されていた石は、石灰岩と砂岩。花崗岩と花崗閃緑岩などの硬い石は、戸口、柱、祠、王族や特権的な役人の彫像によく使われていました。
採石場では、柔らかい石はノミで岩盤から切り離し、硬い石は、硬い岩石で叩いて削っていました。
大きな像を作る場合は、石のブロックを削って大まかな形に整えてから、仕上げをするための場所へと運ばれていたそうです。彫像の細部の表現は、石や金属で穴を開けたり、銅や青銅の刃で刻み、砥石や珪砂で磨いたりすることで表現していたそう。
神殿やピラミッドの大きな石のブロックは、スロープを使用して運んでいました。
王家の彫像を作る彫刻家たち
ツタンカーメン像(紀元前1323-1295年頃)
「父アメンラー」のための神殿に置かれていた像。
像の顔はツタンカーメンですが、像の背面にはホルエムヘブ(Horemheb)とする文章が記載されているそうです。
ホルエムヘブは、ツタンカーメンをはじめとするアマルナ時代の支配者の痕跡を、あらゆるモニュメント・像から消し去ろうとしたのだとか。
カエムワセト王子の像(紀元前1279-1213年頃)
カエムワセト(Khaemwaset)は、エジプト新王国第19王朝のファラオラムセス2世の第4王子。メンフィス地区を中心とするナイル河流域に多大な業績を残し父の治世に貢献しました。
像の王子の左手には、アビドス(古代エジプトのエジプト神話に登場するオシリス神復活の地)に保管されている、オシリスに関連するフェティッシュ(聖なる紋章)が表されています。
もう一方の右手には、オシリス(古代エジプトの冥府の神)、イシス(古代エジプト神話における豊穣の女神)、ホルス(古代エジプトの天空神,王権の守護神)をかたどったものがあります。
背中の柱にはオシリスを呼び出す祈りの言葉が書かれており、足元の文字には、この像がタウェル県に設置されたことが記されています。
所蔵品は800万点以上!エジプトエリア(アッシリア、メソポタミア)だけでも、まだまだ展示品はあります(;’∀’)
ここまで読んでいただきありがとうございました。