【ロンドン観光】科学博物館(Science Museum)~蒸気機関編②~

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1800年代初頭には、蒸気機関を利用した危険な発明に取り組む人が出てきました。

空が飛べる機械を作ろうとしていた人もいたのですね…(;’∀’)

   

 

 

 

蒸気で動く綿花工場があったマンチェスターは、世界初の工業都市になりました。

蒸気機関は急速に普及し、製造工程のスピードアップに貢献、風力、水力、筋力に徐々に取って代わっていきました。

 

しかし、全ての人々に良い影響を与えたとは言えません。

「蒸気機関に自分たちの仕事が奪われる」として、蒸気で動く機械の導入に、反発する労働者たちがいました。    

 

 

蒸気機関と奴隷貿易

1800年代初頭、カリブ海に小型の蒸気機関が輸送されました。

当時の反奴隷運動家たちは、蒸気機関を使えば奴隷の数を減らせると考えたからです。

しかし、サトウキビを刈るなど、プランテーションで奴隷が行う仕事のほとんどは、簡単に機械化できるものではありませんでした。  

 

砂糖が結晶化するまで煮沸するボイラー室で働くアンティグアの奴隷たちの様子。

 

 

 

農園で何千人もの奴隷が命を落としているという、砂糖貿易における残忍さと悲惨さ。

奴隷制度を野蛮なものとみなす人は多く、1800年代の初めには、商売の利益と倫理的配慮の対立が目立ちました。

バートンとワットは共に、奴隷制に反対していたそうです。    

 

 

 

ワットは、1769年に、蒸気機関の設計と改良を独占できる特許を取得していました。

しかし、1800年にワットの特許が切れると、コーンウォール人のリチャード・トレビシック(Richard Trevithick)など、新しい世代の技術者たちが活躍し始めます。

 

活躍の機会をうかがっていたんですね…!

 

 

リチャード・トレビシックは、英国で初めて「強力」蒸気、つまり高圧の蒸気を使った技術者です。

ボイラーが爆発する危険性がありましたが、トレビシックのエンジンは汎用性の高いものでした。そして、鉄道、船舶、農業など、あらゆる分野で蒸気機関が活躍する道を開拓していきました。

 

 

リチャード・トレビシックの肖像画

 

リチャード・トレビシックが開発したコーニッシュ・エンジン

 

 

トレビシック高圧蒸気機関は、ワットのものに比べて石炭の消費量が3倍も多かったものの、はるかのコンパクトで設置が簡単という利点がありました。

浚渫船のバケツのチェーンを動かすなど、コンパクトさを生かした、今までより幅広い用途に使用することができるようになりました。

蒸気は煙突から直接大気に排出する仕組みになっており、復水器が不要。つまり、ワットの特許も侵害しないような設計になっていました。

 

 

四方弁で上下の通路の4つの接続を制御することによって、シリンダーへの蒸気の流入とシリンダーからの蒸気の排出の両方を制御します。

 

 

世界初の蒸気機関車・ペナダレン号

1804年にサウスウェールズのペニダレンで製造された、リチャード・トレビシックの最初の鉄道機関車をモデル化したもの。

世界で初めて、鉄道で荷物を運ぶことに成功した蒸気機関車です。高圧蒸気が人々の暮らしに劇的な変化をもたらすことを示す事例の1つに

 

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