【写真で紹介】大英博物館(The British Museum)~エジプト編⑤~

イギリス
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ネスタの供物卓(650年頃)

この供物卓は花崗閃緑岩でできており、神殿か墓にあったもので、第26王朝前期時代のもの。パン、水瓶、家禽などの供物を敷き詰めている様子が描かれています。

祭祀用の酒は、持ち主の霊に捧げるため、そして清めるために、この供物卓にかけられたのだそうです。

碑文には、この供物卓の持ち主が、総督(地域を統治する長)モントゥエムハットの息子のネスタであることが記されています。

 

 

 

 

 

「神の妻(God’s Wife)」アンクネスネフェリブラ像の石棺(紀元前570〜526年)

アンクネスネフェリブラは、アメン教の高僧で「アメン神の妻」として権威を持っていました。

碑文には、ピラミッド・テキスト、死者の書、魔法や神話のテキスト、葬送儀礼について、太陽の賛美歌、死者を見守るための毎時の儀式などが記されています。

 

 

 

モントゥエンハット総督像(紀元前700〜650年)

ステラ(石碑)の後ろにひざまずき、両手を上げて礼拝するモントゥエンハットの像です。第25王朝末期〜第26王朝初期頃のもの。

モントゥエンハットはテーベから上エジプトを支配し、かつてはクシテ王の臣下でした。

ステラには、太陽神アトゥム=ケプリを崇拝している様子、アトゥムが冥界に沈むことを描写している讃美歌などが記されています。

 

 

 

 

モントゥエンハットのリベレーションボウル(紀元前650年頃)

第26王朝前期、プサムテク1世治世の時代のもの。ムト神殿から発掘されました。

エジプトの総督が、碑文にあるハトホルとムトという女神に捧げた鉢です。ひざまずいたモントゥエンハットの像によって捧げられていたものだそう。

 

 

 

プヘリ王子の石碑(紀元前700年頃)

下エジプトの古代都市であったテルアトリブ (Tell Atrib)から発見されたステラ(石碑)。

石灰岩でできたこのステラには、このステラの奉納者であるプヘリ王子の名前が記されています。

 

 

 

石板、シャバコ(Shabaqo)ストーン(紀元前716〜702年頃)

メンフィスの主神プタハが世界を創造したことを伝える石版で、後に石臼として再利用されていたものです。

プタハ(Ptah)…古代エジプトの都市メンフィスで信仰された創造神

本文には、クシ族の王が、プタハ神殿にあった古代の虫食い巻物から写させたと序文に書かれています。クシ族は、エジプトの遺産を守り、過去の業績を模倣することで、エジプト支配を正当化しました。

 

 

 

胸像(紀元前570〜526年頃)

第26王朝時代に神殿に立てられていた、花崗閃緑岩でできている胸像です。

持ち主は、ナイル・デルタ西部の町サイの王。下半分に名前と称号が刻まれていたはずということで、正体はわからないままなのだとか。

顔立ちはやや淡泊ではありますが温和で、第26王朝末期の芸術的理想を表現している。

 

 

 

プインプのステラ(紀元前600年頃)

第26王朝時代のもので、石灰石でできているステラ(石碑)

プインプはホルスの神官で、オシリス(冥府の神)、鷹の頭をしたホルス(オシリスの息子で後継者)、イシスという神の三者を礼拝している姿が描かれています。

 

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