【ロンドン観光】科学博物館(Science Museum)~時計編③~

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トーマス・トンプソン(1639‐1713)の肖像画

当時イギリスで最も偉大な時計・計器メーカーで、チャールズ2世、ウィリアム3世、アン女王から依頼を受けて時計を製作していました。

”the father of english clockmaking”(イギリス時計製造の父)と呼ばれています。

 

トーマス・トンプソンはタレット・クロック(時計塔、教会、建物に取り付ける時計)の専門家としてクロックメーカー社に入社しましたが、すぐにロバート・フックに引き抜かれました。

フックは、物理学者、発明家、幾何学教授、王立協会の実験監督専門管理職、建築家、大火後の市の調査官など、多才な人物でした。

 

 

ロバート・フック、ヒゲゼンマイの特許の申請書, 1663年

ヒゲゼンマイにより、時計の計時の性能が大幅に改善されました。

 

 

フックはトンプソンを、クリストファー・レン、ジョナス・ムーア、王立天文学者のジョン・フラムスティードなど当時の偉大な知識人に紹介しました。

トンプソンの人脈、優れた職人技、生来のビジネススキル、機械の創意工夫により、彼はフリート・ストリートの「ダイヤル&スリークラウンズ」で大規模なビジネスを展開し、国内外から多くの依頼を受けるようになります。

1703年にはクロックメーカー・カンパニーのマスターに選出されました。1713年に彼が亡くなると、ジョージ・グラハムが彼のビジネスを引き継ぎました。

 

 

 

ネルスロップコレクション

科学博物館で展示されている時計コレクションのほとんどは、個人コレクターであるヘンリー・レナード・ネルスロップのコレクションが大部分を占めています。

ネルスロップ牧師は、1854年頃から時計に魅了され、コレクションを始めました。1894年に2,000ポンド相当の個人コレクションをすべて、詳細なカタログとともに会社に寄贈しました。

 

 

マーティン・エルウッドの時計, 1700年

シルバーペアケースの時計。外側はべっ甲で覆われ、銀製の鳥と葉の象嵌が施されています。

銀製の文字盤、中央には葉の模様が刻まれています。スチール製のチューリップ針。「Martin Ellwood London」のサインが入っています。

 

 

ペシェルの時計, 1770年

金マウントの、雲に遊ぶプット (”Putto”。ルネサンス美術に描かれる、翼の生えた裸の幼児の図像)の装飾が施された磁器製ケース。ホワイトエナメル文字盤に巻上げ開口部。ヴァージ脱進機が組み込まれています。

「Peschel London 107」というサインが入っています。

 

 

ジャスティン・ヴリアミーの時計, 1775年

金とエナメルのペアケース。アウターケースはブルーエナメルの地に骨壷の装飾。

ホワイトエナメル文字盤。”Justin Vulliamy London xcn”のサインが入っています。

 

 

ジョン・ウィルターの時計, 1780年

ゴールドペアケース。ゴールドの文字盤に弧を描く分目盛、ヴァージ脱進機。「John Wilter, London」とサインが入っています。

 

 

アンドリュースの時計, 1790年

金、エナメル製のケース。ホワイトエナメル文字盤、ゴールドの矢じり針、蝶番付きキュベットに「Andrews Cornhill London No.2046」のサインが入っています。

 

 

ジェームス・シルベスターの時計, 1790年

ナメルの楕円形ループペンダント。金ケース、青、緑、黄、白、赤のエナメル加工が施されています。

ホワイトエナメル文字盤、アラビア数字、ゴールド矢印針。ヴァージ脱進機が組み込まれています。

 

 

 

 

経度への挑戦

1714年になると、海上での距離計算の必要性が高まり、ヨーロッパ全土で科学時計への関心が高まります。イギリス政府は、正確な海上での距離計算に成功したものに2万ポンドの賞金を出すことを決定しました。

当時の海上での距離計算の方法は、母港の現地時刻に時計を合わせ、それを正確に維持すれば、航海士は自分のいる場所の時刻を(天体観測によって)確認し、それを(時計が示す)母港の時刻と比較して求めるというものでした。その時刻の差から、船が母港から東へ何度、あるいは西へ何度移動したかがわかりました。

 

当時、陸上で最も優れた計時装置である”振り子時計”が海上で機能するはずもなく、さらに、温度、運動、腐食、摩擦、潤滑など、さまざまな問題を克服する必要がありました。数多くの科学者・職人たちの挑戦が失敗に終わりました。

 

そしてとうとう、イギリスの時計職人であるジョン・ハリソン(John Harrison、1693年 – 1776年)が、渡洋航海において重要な、経度の測定が可能な精度をもった機械式時計(クロノメーター)を初めて製作しました。

そして、精度と信頼性が高いタイムキーパーを作るという同じ目標を持ったトーマス・マッジ(Thomas Mudge)は、1753年に「レバー脱進機」を考案しました。

「レバー脱進機」は、ほとんどすべての機械式時計だけでなく、小型の機械式非振り子時計、目覚まし時計、キッチンタイマーにも使用されている脱進機の一種です。

天文学・航海技術の向上・貿易の発展など、ロンドンの時計職人・メーカーが大きく貢献していたことがわかります。

 

ジョン・ハリソン(1693年~1776年)の肖像画

 

 

ジョン・ハリソンとその家族の肖像画, 1693-1776年

 

 

ハリソンとマッジが作ったタイムキーパーは、精度は素晴らしいものの、非常に複雑で作るのが非常に難しく時間がかかり、価格も非常に高いものでした。

1770年代半ばになると、ジョン・アーノルドとトーマス・アーンショーという2人のロンドンのメーカーが、それまでの状況を一変させることになります。

彼らの発明は、効果的かつ実用的な精密計時の基礎を築きました。

 

ジョン・アーノルド作の時計ムーブメント, 1787年

 

 

 

ジョン・アーノルド(1739年-1799年)は時計職人の息子でした。1760年代にロンドンで事業を始め、その卓越した才能を発揮して精密時計の改良に取り組みました。

こちらの科学博物館に所蔵されているコレクションは、ジョン・アーノルドの相続人が所有していたものです。

時計や日記などのコレクションは、当時最高の時計・腕時計・クロノメーター製作者の人生と時代を垣間見ることができる資料となっています。

 

 

ハウエルズ&ペニントンがトーマス・マッジ・ジュニアのために製作したマリンクロノメーターNo.7, 1795年

トーマス・マッジは年を取るにつれ、老齢のため働くことができなくなりました。そこで彼の息子(弁護士)は、父の設計に基づき15台のクロノメーター製作を他のメーカーに依頼しました。

しかし、これらの時計は製造が非常に難しく、マッジが製作した時計ほどにはうまく機能しませんでした。

その上、1個157ポンドという高価なものであったため、このプロジェクトは失敗に終わったそうです。

コンスタントフォース脱進機、コンペンセーション・カーブ。

 

 

膨大な展示物・展示アリアがある、ロンドン科学博物館(Science Museum)。

入場料無料なので、少しずつ通って他のエリアも紹介できるようになりたいと思います。

 

次回、「時計編その④」の記事に続きます!

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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