パルテノン神殿(450-430 BC)
ギリシャにある神殿の中で、最も大きい神殿であるパルテノン神殿。世界遺産に登録されていることでも有名です。
アテネの守護女神アテナを祀る神殿として建築され、古代ギリシア建築の3つの様式のうち最も古いドーリア式で設計されています。
帝国の全盛期にアテネの富と権力を誇示するため、大理石を贅沢に使用されています。
神殿には2つの部屋があり、最も大きな部屋にはアテナ・パルテノンの高さ12メートルもの像が設置されていたそうです。
パルテノン神殿の模型
パルテノン神殿の真っ白な塗装は、不透明なニスで調色されていたそう。ニスは風化から表面を守るだけではなく、切り出したばかりの大理石のぎらぎらとした質感を取り除く役割を果たしていました。
パルテノン神殿のフリーズの複製
パルテノン神殿の西側フリーズ(frieze、彫刻を施した壁)の複製が展示されています。1802年に鋳型から作られたもの。
こちらの複製は触ってOKでした。
パルテノン神殿の大理石のフリーズは、パルテノン神殿の四方すべてを囲んでいます。
彫刻は、アテネで開催されるお祭りの行列を表現しているそう。行列はフリーズの南西の角から出発し、二つに分かれ、両部分は神々が座っている東端に到着するようになっています。
騎馬隊の準備をする騎手たちが描かれています。
パルテノン神殿の外側の柱廊の上にはメトープス(高い浮彫りレリーフで飾られる長方形の小壁)が置かれ、ギリシャ神話の戦いの場面が描かれていました。
ペディメント(三角形の妻飾り)には、東側には守護女神アテナの奇跡的な誕生が、西側にはアテネの覇権をめぐるポセイドンとの争いが描かれていたそう。
ペディメントとメトープにはギリシャ神話の場面を描き、フリーズにはアテネの人々の宗教的な行事を彫刻で描いているのですね。
パルテノン神殿の北側フリーズ(450-430 BC)
西側のフリーズから始まった騎馬隊が引き続き描かれています。騎馬隊の前には戦車が走り、その先には歩行者集団が続いています。
騎馬隊はいろんな服装・頭飾りを身に着けています。
写真にある118番の騎馬隊は、紋付き兜と胴鎧を身につけ、マントを羽織っています。119番は、深いひだのあるマントを羽織り、頭には耳あてと首飾りのついた帽子をかぶっています。
ケンタウロスとラピテース族のメトープ(447~438 BC)
パルテノン神殿で発見された92個のメトープ(Metopes)のうちの1つ。神殿の南東側に設置されていたそう。
ケンタウロス(半人半馬の種族)が、人間のラピテース族(神話に登場する、ギリシャ北部の民族)と戦っている様子を表現されています。
ケンタウロスが左手でラピテース族の髪をつかみ、片方の手は殴りかかろうとしている姿、苦痛や怒りの感情が読み取れるような細かい表情、細部まで丁寧に彫刻されています。
先ほどのメトープの続きです。漫画のように場面が続いています。
ケンタウルスは相手の喉を掴み、ラピスは拳と膝でかわそうとし、ケンタウロスは痛みで口を開き、歯をむき出しにしています。
その顔は古代ギリシャの演劇の仮面に似ており、髪はカツラに似ています。
ケンタウロスは倒れた相手を踏みつけ、髪を掴み、次の攻撃の準備をしています。ラピテースは最後の反撃の希望ともいえる石を地面から拾っています。
メトープ(Metopes)は、パルテノン神殿の四方の柱廊の上に設置されており、ギリシャ神話の場面が描かれています。
東西南北それぞれの部分で描かれている場面が異なります。
西側のメトープは、ギリシャ人とアマゾネス(女戦士)の戦闘の場面を。北側はトロイの略奪、東側はギリシャの神々とその敵である巨人との戦いが描かれています。
大英博物館にあるメトープはすべて神殿の南側のもので、ラピス人とケンタウロス人の戦いが描かれています。
セレネの馬(438-432 BC)
パルテノン神殿彫刻群のひとつ。東破風にある、月の女神セレネ(Selene)のこちらのチャリオットは、他方の端にある太陽神ヘリオスの彫刻群と調和するように配置されていたそう。
馬は夜通し走ったことで疲れ果て、眼球が膨らみ、鼻孔が開き、口が開き、血管が浮き出て、皮膚が大きな頬骨の上に張りつめた状態が表現されています。
月の女神のチャリオットを曳いて天空を駆け巡った馬の疲労が伝わってきます。
パルテノン神殿彫刻群
パルテノン神殿の東側の屋根の一部についていた彫刻群(ペディメント)。神殿に配置されていた順に並んでいます。
紀元2世紀のギリシャの旅行記作家パウサニアスによると、女神アテナ(Athena)の誕生が描かれているとのこと。
女神アテナは、鍛冶の神ヘファイストス(Hephaistos)の斧で割られた父ゼウス(Zeus)の頭から生まれました。このペディメントの隅には、アテナの誕生時刻が記されています。
これらの彫刻群は、人物のスケールを保ちつつ、三角形のペディメントに収まるように巧みにを配置されています。
19世紀にエルギン伯爵がイギリスに持ち帰ったもの。
ギリシャ政府から何度も返還要求されているが、英国政府は「これほど貴重な人類の財産を、前世紀から保存できる国が他にあっただろうか。」と言って全く応じないという背景がある展示品です(;’∀’)
さすがイギリスです…(*_*;(笑)
所蔵品は800万点以上!古代ギリシャ・ローマ時代の展示だけでも、まだまだあります(;’∀’)
次回、その②の記事へ続きます!
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