戦車に乗った王が描かれたレリーフ(730-727BC)
ティグラト・ピレセル3世(Tiglath Pileser III、在位:紀元前745年 – 紀元前727年)が、アスタルツ(現在のヨルダン)を占領し、住民がアッシリアの護衛のもと出発しようとしている様子が描かれています。
レリーフに描かれている王は、戦車に乗り、日傘を差しています。
ティグラト・ピレセル3世は、古代メソポタミア地方の新アッシリア帝国の王。
弱体化していた新アッシリア帝国の王権を強化し、帝国の軍事・政治システムを大幅に改良して効率化・安定化を図ったとされています。アッシリア初となる常備軍を創設し、周辺諸国を攻撃して領土を広げ、アッシリアの最盛期と言われる時代の端緒を開きました。
バラワットゲートの原寸大復元
古代アッシリアの都市バラワット(Balawat)にある、シャルマネセル3世(Shalmaneser III)の宮殿にあった門を原寸大で復元したもの。
7メートルもの高さのこの門は、杉の木で作られています。
バラワットゲートのブロンズ製オーナメント
エンボス加工(凹版と凸版で紙を挟み、圧をかけて盛り上げる加工方法)で作られた青銅製のオーナメント。馬、戦車、武器運搬人、貢ぎ物、碑文、王とその仲間たちがライオンや牛を狩る場面が描かれています。
トトメス4世の首(1400-1390 BC)
トトメス4世(Thutmose IV)は、古代エジプト第18王朝の第8代ファラオ。
神殿の塔門の前に置かれた坐像の一部と推定されています。額のコブラの紋章は、神の守護を象徴しているのだとか。
ムテムウィア女王のボート(1390-1352 BC)
神聖な船の彫刻です。損傷が激しいですが、トトメス4世の妻であるムテムウィア王妃(Queen Mutemwia)の座像が船の上に乗っています。
船首にある顔は、ジプトで最も愛され、祭りと音楽を司った万能の女神ハトホルを表しているそうです。
ホレムヘブ将軍とその妻の彫刻(1327-1323 BC)
碑文が無い未完全な彫刻。1839年に大英博物館が購入した際も出所がわからず、夫婦の素性は長い間謎のままだったそうです。
1976年にホレムヘブ将軍の墓群から、二人の手をつないだ欠片が発見され、このことからこの像は将軍と最初の妻アメニア(Amenia)と推定されたのだそう。
プリーツの入った衣服、精巧なかつら、ホレムヘブのサンダルなどは、高い地位を表すもの。
ホレメヘブはツタンカーメン王の下でエジプト軍を指揮し、少年王の摂政を務めました。
ツタンカーメンは跡継ぎがいないまま若くして亡くなり、王位は一時、年長の親族であるアイに移り、その後、非王族でありながらホレムヘブに移りました。
軍人からファラオに…大躍進ですね(;’∀’)
ラムセス2世の座像(1279-1213 BC)
ラムセス2世(Ramesses II)は、エジプト新王国第19王朝のファラオ。即位名をギリシャ語訳した「オジマンディアス(コイネー:Οσυμανδύας、Osymandýas)」の名でも知られています。
伝統的な王室の頭巾と顎鬚を身につけており、額のコブラの紋章は神の守護を象徴しています。
ラムセス2世像の一部(1279-1213 BC)
この像と同じものが3体、エジプトの首都の神殿から発見されたそうです。
所蔵品は800万点以上!エジプトエリア(アッシリア、メソポタミア)だけでも、まだまだ展示品はあります(;’∀’)
次回、エジプト編その③の記事へ続きます!
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