このロンドン交通博物館の建物は、かつてはビクトリア朝時代はフラワーマーケットだったそうです。
1871年にウィリアム・ロジャースによって花市場として設計されたもの。その後100年間、ここはロンドンの花卉卸売業の中心地となり、クリスマス以外は毎日開催されていました。
コベントガーデンマーケットの花屋, 1876-77年
臨時で雇われる非正規労働者のほとんどは地元住民で、定職がないため、収入が不安定になることもあったそうです。
ガラス屋根のデザイン、ヴィクトリア朝の温室と鉄道の駅を掛け合わせたようなデザインです。
フラワーマーケット
ガーデニング大国イギリス、有名なコロンビアロード・フラワーマーケットをはじめ、各地に花市場があります。
その歴史は古く、1870年代のマーケットでは約500の花屋が並び、約2000人の従業員が働いていたほどの大規模になっていたそうです。
1960年代には、100社以上が毎年1000万ポンド(約15億円)相当の花や植物を扱っていました。
ポストカード, 1900年代
ハガキは、現代の電子メールやテキストのような短いメッセージを送るのによく利用されていました。毎日何百万通も送られたそうです。
写真のポストカードには通勤中の様子が描かれています。当時の通勤ラッシュの苦労を描いたイラストは人気があったそうです。
チャリングクロス駅の断面図, 1929年
現在エンバンクメント駅で、トンネルが複雑に絡み合っている状態がよくわかる断面図です。
1914年に建てられた駅舎は、1920年代に順次改修され、3つの階段、2つのエスカレーター、ディストリクト線に架かる橋、ノーザン線の2つ目のプラットフォームが追加されました。
行き先表示版, 1930年代
1930年代、地下鉄の列車で使用されていた行き先表示板。
ローラーブラインドの行き先表示版
ロンドンバスは1920年代後半から木製の行き先表示板に代わり、ローラーブラインドが採用されました。
運転手や車掌は、走行前に前後のブラインドをリセットして、正しい行き先を表示させる必要がありました。
バスのブラインドは、エドワード・ジョンストンがデザインした書体を使用しています。この書体は、現在でもロンドンのバスのブラインドに使われています。
ちょっとした休憩スペースになるテーブルが、地下鉄のマークになっていて可愛かったです(*’▽’)
交通博物館のお土産
戦時中のアンダーグラウンドの改造図面とその写真, 1940年
第二次世界大戦中、アンダーグラウンドは政府の管理下に置かれることになりました。
キング・ウィリアム・ストリートなどの一部駅や使われなくなった駅は、空襲用のシェルターに改築されました。
大戦中は地上は空襲で危険な状況、地下シェルターでは多くの人々が共同生活を営んでいました。
その地下での共同生活に伴い、ダンス、ボードゲーム、歌など、地下では様々な娯楽活動も発達していたのだとか。
人気ミュージシャンを招いて特別ショーを開催し、BBCで放送されたり。図書館、プレイセンター、教室などの教育施設も設置されていました。