時計展示エリア「The Clockmakers of London」
博物館の3階(イギリスでは2階)には、「The Clockmakers of London」」(時計コレクションの展示)があります。
数多くの時計のコレクションの展示、1600年から現代に至るまでのロンドンにおける時計製造の革新の歴史について学ぶことができるようです。
前回記事の続きです。
時間測定器・日時計の作り方・使い方を説明している本, 1592年
イタリアの都市ベネチアで出版された本。図版は手彩色です。
マイケル・ヌーウェン作の時計, 1600年
1580年頃から1613年頃までロンドンで活動した、イギリス人時計職人であるマイケル・ヌーウェンが製作した時計。金箔で装飾されたケースに入っています。
ポケット日時計, 1600年
‘T.W.’というサイン入りですが、身元は不明。旅行中に文字盤を合わせるために使用された緯度のリストが刻まれており、その中にはジブラルタル(スペイン南海岸の半島にあるイギリスの海外領土)が含まれているそうです。
水平日時計のプレート, 1620年
ヘンリーアーチャーの時計, 1630年
金メッキの楕円形ケースに銀のカバー、刻印の入った銀のバンド、金色の彫金が施された文字盤を持つ時計です。
アーチャーは、1631年にクロックメーカーズ・カンパニーの設立を請願した最初の人物であると言われています。
1631年、国王チャールズ1世は時計職人会社の設立を許可し、シティやその周辺で働くすべての時計職人を監督・市場を保護する権限を与えました。
しかし、1642年の国王と議会の対立から発展した内戦(ピューリタン革命)によって、市場は壊滅的な打撃を受けることとなります。
デイビッド・ラムゼイ作の時計, 1625年
文字盤には、1608年から1629年にかけて活躍した彫師ジェラール・ド・ヘックのものと思われるサインが入っています。
デイビッド・ラムゼイは、スコットランドのジェームズ6世の時計職人でした。
ジョン・ラムゼイの腕時計, 1625年
金メッキ金属製フレームにセットされたクリスタルには白と緑のエナメル加工が施され、文字盤はホワイトエナメルで花が描かれています。
ゴールドのチャプターリングとブルースチール製針。ねじ込み式コック。1610年から46年にかけて活躍したジョン・ラムゼイ作のものと思われています。
携帯用ストライキングクロック, 1640年
金色の文字盤に銀色の時字型リングが施されているストライキングクロック。
ギリシア神話のエピソードに登場する、ディアナとアクティオンの場面が描かれているそうです。(猟師アクタイオンが女神ディアナ(アルテミス)とディアナに仕えるニンフたちの水浴を誤って目撃するというギリシア神話のエピソード)
ヴァージ脱進機が使用されています。
脱進機とは、ぜんまいから伝わる動力を調整し、時計の歩度を調整するための機構。脱進機は数多くの種類がありますが、機械式の脱進機としては最も古いもので、18世紀くらいまで使用されていたタイプです。
1646年頃〜1666年頃、ロンドンでのクロックと時計の市場は拡大していきました。
1657年の劇的な技術革新と1660年の宮廷復帰により、その市場の拡大はさらに加速するだろうと期待されましたが、1665年のペスト大流行と1666年のロンドン大火により、ロンドンは廃墟と化しました。
ペストにより、人口の大半が死亡。ロンドン大火では、街の3分の2が焼け落ち、時計製造会社の半数以上の社員寮が焼失しました。
1640年代後半、高い税制と政情不安により、ロンドンの時計職人たちの生活は苦しいものとなりました。国王が処刑され、宮廷が追放され、市場での取引量は激減。
しかし、裕福な中産階級や戦争で利益を得た人々の中から、徐々に新しい顧客が現れ始めました。貿易は回復し、この時期のロンドンには40人以上の時計職人と多数の時計師が記録されています。
ヘンリー・チャイルドの腕時計,1650年
シルバーとレザーのペアケース・ヴァージ・ウォッチです。月齢を示すインナーリングが施されています。外側のカレンダーリングは、銀色の装飾が施された革製のカバー付きアウターケースに収められています。
時計職人のヘンリー・チャイルドは1665年にペストを患い、クロックマスターの職位に就いて亡くなりました。