エディンバラの中心地にあるスコットランド国立美術館。
ボッティチェリ、ラファエロ、レンブラント、モネなど
スコットランドのみならず世界中の、ルネッサンス期から20世紀初頭までの絵画を展示しています。
入場料・チケット料金は無料です。実際に行ってきましたので、写真と共に紹介します。
1859年に一般公開されたスコットランド国立美術館は、ルネッサンス期から20世紀初頭までのスコットランドと世界の美術品を展示しています。
ほとんどの絵画作品は、ロイヤル・スコティッシュ・アカデミーから移管されたものです。
古代ギリシャの神殿を模した建物は、スコットランド人建築家ウィリアム・ヘンリー・プレイフェア(William Henry Playfair)の設計によるものです。
1階、2階にかけて展示されており、のんびりと観て回って所要時間は1時間ほどでしょうか。
前回記事の続きです。
「Painting as Spectacle」1785年 – 1870年
1785年から1865年にかけては「statement picture」と呼ばれる、メッセージ性を持った巨大なサイズの壮大な絵画が流行した時代でした。
教養のある観客を念頭に置いて制作されました。いくつかの作品は、王室からの個人的な依頼で制作されたもので、一族の歴史を国家のプロパガンダとして表現しています。
1768年にロンドンで設立された王立芸術院や、1826年にエディンバラで設立された王立スコットランド・アカデミーは、このような大作を展示するための舞台となりました。
また、一部の企業家たちは、商業的投機として祝賀的な近代史絵画を制作し、ディーラーや出版社は芸術家と共に、これらの大作を大衆向けに複製した版画を発行していました。
ジョン・シンガー・サージェント 『レディー・アグニュー』 1864~1932年
ジョン・シンガー・サージェント(John Singer Sargent)はアメリカ人の肖像画家で、豪華絢爛な肖像画を描き「エドワード王朝時代きっての肖像画家」とも呼ばれています。
サージェントはフィレンツェに生まれ、裕福なアメリカ人の両親とともにヨーロッパ各地を旅行して幼少期を過ごていました。
1874年、彼はパリの粋なフランス人肖像画家カロルス・デュランのアトリエに入門。レンブラントやベラスケスなどの巨匠を学びながら、モネや印象派の影響も受け、師の華やかな作風を受け継ぎました。
この作品「レディー・アグニュー(Lady Agnew of Lochnaw)」は、
アグニュー夫人のまっすぐなまなざしとカジュアルなポーズ、そして流れるようなドレスの生地とライラック色の帯が、この肖像画を印象的なものにしています。
ロッホナウの男爵と領地を相続した法廷弁護士アンドリュー・ノエル・アグニュー、その彼の若い妻ガートルード・ヴァーノンが描かれた作品です。
この作品は1893年にロイヤル・アカデミーに出品され、サージェントの名を世に知らしめました。肖像画の注文が殺到し、サージェントはエドワード王朝時代の社交界でカルト的な人気を博しました。
サージェントの描いた優雅なレディ・アグニューのイメージがついたために、彼女はロンドンの自宅で豪華なサロンを開き、流行の先端を行く存在となりました。
皮肉なことに、こういった豪華なもてなしには費用が多くかかったため、彼女は最終的に財産でもある絵画たちを売らざるを得なくなり、この肖像画も含めて、1925年にスコットランド国立美術館に購入されたそうです。
エドウィン・ランドシーア 『グレンの君主』 1851年頃
エドウィン・ランドシーア卿(Sir Edwin Landseer)は、イギリスの画家・彫刻家で、特に馬、犬、鹿などの動物の絵で知られています。
幼少期から芸術の才能は秀でており、若干12歳でロイヤル・アカデミーに作品を出品したそうです。動物を描くのが得意で、ドラマチックで生き生きとした絵を描くことが多かったそうです。
ヴィクトリア女王のお気に入りの画家であり、1850年には爵位を授与されました。
雄鹿の姿を描いたこの作品は、スコットランドの高地と野生動物の壮大さと威厳を表現しています。
19世紀には版画で広く鑑賞され、20世紀には様々な商品のマーケティングイメージとして採用され、世界的に知られるようになりました。