【ロンドン美術館】テート・ブリテン(Tate Britain)見どころ紹介

イギリス
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古典主義の絵は、聖書やギリシャ・ローマ神話をテーマに描く作品が多かったのに対して、ロマン主義時代は自国の歴史・民族文化を描くようになります。

イギリスの古典をテーマに描こう、シェイクスピア劇「ハムレット」のワンシーンがテーマになっています。

日本でも有名な絵です。ロンドンに留学していた夏目漱石の作品「草枕」にこの絵の話が出てきます。

 

作者のジョン・エヴァレット・ミレー(Sir John Everett Millais)は、子どものころから神童と言われるほど、画力が高く、史上最年少11歳で王立美術アカデミーに入学しました。

師匠であるジョン・ラスキンの妻ユーフィミアが、ミレーに惹かれてミレイと再婚(NTR)。ラスキン夫妻は結婚生活がうまくいってなかったようです。

結婚したミレーとユーフィミアは8人の子供に恵まれ、幸せに暮らしました。自身の子供をモデルにした絵を描いたりしています。

 

テート・ブリテンの展示品の中でも人気の作品です。周りに人だかりができていました。

 

 

イギリス最高の画家と呼ばれるターナー。

テート・ブリテンではターナーの作品が数多く展示されており、ターナーの作品だけの部屋があるほどでした。

 

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner)は、イギリスのロマン主義の画家です。

コヴェントガーデンの理髪店の息子として誕生。幼少期から絵の才能があり、父の経営する理髪店にターナーの絵を飾れば、客に売ってくれと言われるほどだったそう。

建築のパース(建物の外観や内部を立体的に表現した図)を描くバイトをして稼いでいました。その経験で、ターナーの絵で評価されている遠近法の技術を習得したと言われています。

15歳で美術アカデミーに入学を許可され、入賞する作品を描き、富裕層のパトロンに恵まれ画家として順調に歩みを続けました。76歳でコレラで亡くなるまで、順風満帆な人生を送りました。

 

 

「イギリス人は絵を描くのは苦手でも集めるのはプロ」と言われるように、美術後進国だったイギリスですが、そのイギリスを美術最先端の国に押し上げたのがターナーとされています。

イギリスの紙幣20ポンド札に、自画像が描かれているほど功績を残したイギリス人です。

ターナーの自画像の下部には、”Light is therefore colour(光は色彩である)”というターナーの言葉が記載されています。

 

ちなみに、20ポンド札のターナーの背景に描かれているのは「解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号(The Fighting Temeraire)」

BBCの調査で「イギリス国内の1番好きな絵」で、堂々のランキング1位になった絵だそうです。

こちらの絵は、同じくロンドンにあるナショナル・ギャラリーで展示されています。

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ターナー 『ノラム城』 1835-40年

幻想的な光の描写は、ターナーの表現の局地です。ターナーは光と色彩の魔術師とも呼ばれています。

北イングランドとスコットランドの境の、ツイード川近くにある「ノラム城(Norham Castle)」を描いた作品です。

ちなみに、羊毛の織物である「ツイード」は、このツイード川流域で作られていたことから名付けられたそうです。

 

 

ターナー 『レグルス』 1828年

敵の捕虜となり、カルタゴに捕らえられた古代ローマのレグルス(Regulus)将軍は、瞼を切り取られて暗い牢に長い間幽閉されていました。

そのレグルス将軍が最後に見た光を描いたとされる作品です。

透視図法の消失点(視点を通り、描く直線と平行な直線が画面と交わる点)となる位置に、太陽が描かれています。絵を見た人が、太陽に自然に注目するように誘導している構図なのだとか。

 

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