スコットランド北部にある、ウイスキーの聖地ともいわれるスペイサイド(speyside)地域。
マッカラン、ザ・グレンリベットなどのウイスキーの蒸留所巡りを楽しんできました!
電車とタクシーでの行き方、B&Bホテル宿泊の様子、蒸留所見学ツアー料金などを、写真と共に紹介します。
今回その④記事では、「ザ・グレンリベット蒸留所 (The Glenlivet distillery)」、3日目のホテル(B&B、イギリスの民宿のような宿泊施設)について紹介しています。
前回記事はこちら↓
その③の記事では、2日目のホテル(B&B、イギリスの民宿のような宿泊施設)について紹介しています。
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ザ・グレンリベット蒸留所 (The Glenlivet distillery)
宿泊したホテル(B&B、イギリスの民宿のような宿泊施設)からは、車・タクシーで6分の距離にあります。タクシー代は9ポンド(約1,440円)でした。
宿泊した民宿は、セミリタイアしたご夫婦が経営されていた素敵なお宿でした!
前回記事で紹介した通り、超人気宿でなかなか予約は取れませんが、また宿泊してお2人に会いに来たいと思うほどです。忘れられない良い思い出になりました(*’▽’)
「はじまりのシングルモルト」と呼ばれる、ザ・グレンリベット (The Glenlivet)。
中世のスペイサイド地方には密造酒業者が多かった中、
1824年に英国政府公認第一号の蒸留所として認められたのが、ザ・グレンリベットの創業者であるジョージ・スミスのウイスキーです。
しかし、当時スコットランドにたくさんいた密造者たちは、ジョージ・スミスだけが政府公認の蒸留所となったことをよく思っておらず、彼を裏切り者とし、絶えず命を狙うように。
ジョージ・スミスは自分の身を守るために、常に2丁のピストルを携帯していたそうです。
グレンリベットの品質の高さと、英国政府の公認第一号のスコッチウイスキーの名声にあやかろうと、他の蒸留所も”グレンリベット”の名前を自分たちのウイスキーの名前に使用するようになっていきます。その数は25。
ジョージ・スミスは自分のスタイルのウイスキーを守るために裁判所に提訴しました。
1884年、引き継いだ息子の時代になってようやく判決が下り、”ジョージ・スミスのウイスキー”だけが本物の証拠である定冠詞の”THE”をつけることが認められ、唯一無二の”THE GLENLIVET”となりました。
蒸留所・ショップ
エントランス
ロビーもおしゃれです。無料Wi-Fiがありました。ツアーの時間より早く到着してもゆっくり待つことができます。