ブレーメン市庁舎(Bremen Rathaus)とローラント像
2004年に世界遺産に登録された、マルクト広場に面する市庁舎と広場中央に立つローラント像です。
市庁舎は、1405年から1410年にかけて建てられたブリック・ゴシック建築(Brick Gothic)の建物。そして後の1608年に、北ドイツ伝統の建築様式ヴェーザー・ルネッサンス様式(Weser Renaissance)の壮大なファサード(建物の正面部分)が加えられました。
上部に見える立像は、カール大帝と7人の選帝侯たちをあわらしているそうです。
ブレーメン市の60%以上が破壊されたという、第二次世界大戦中には、市民たちは市庁舎の外壁を囲いによって覆い、戦火から守り抜きました。
高さ10m近くにも及ぶローラント像は、1404年も前からこの場所に立っています。ハンザ都市の伝統を伝えるもので、協会に支配されない自由な町であることの象徴となっています。
公正をあらわす剣と皇帝の鷹が描かれた盾を持っており、その視線は正面に建つ聖ペトリ大聖堂に向けられています。
夜はこんなふうにライトアップされます。昼とはまた違った美しさがありますね。
マルクト広場
ブレーメンの観光の中心地である「マルクト広場」。
旧市街の中心であるマルクト広場は、クリスマスの時期にはクリスマスマーケットが開かれ大いに賑わいます。
周囲には、世界遺産に登録された市庁舎やローラント像、ドイツで最も古い教会のうちの一つ、聖ペトリ大聖堂、ブレーメンの議事堂、カフェやレストランがあります。
2つの尖塔を持った聖堂、聖ペトリ大聖堂。
歴史は古く、789年にはすでに木造の教会があったそうです。9世紀に石造に造り変えられ、火災による全壊や大戦の空襲による損壊などを経て、戦後に修復されて現在の形に至りました。
増改築が繰り返され、ロマネスク様式やゴシック様式が混在した造りになっているそうです。
大聖堂には博物館が併設されており、銀の祭壇や、中世の司祭の墓、絵画などの展示があります。
シュティング(Schütting)という名の、かつてギルドホールとして街の商人や貿易商に利用されていた施設です。
1973年からは記念建造物として保護されています。
ブレーメンの議事堂
ベットヒャー通り(Boettcherstrasse)
ブレーメンの歴史的中心部にある歩行者専用の細い路地「ベットヒャー通り(Boettcherstrasse)」。
長さはわずか107メートルの短い通りですが、ショップやカフェ、工房など、れんが造りの趣のある建物が建ち並び、ブレーメンの観光名所の1つとなっています。
裕福だったコーヒー商人ルートヴィヒ・ロゼリウス(Ludwig Roselius)が、1922年から1931年にかけて、中世の町並みを再現しようとして造った通りなのだそうです。
彼は建物を私財を使って次々に購入し、建築家の力を借り、同じような外見で統一感がある街並みを造りました。
ちょっとしたマップがありました。観光客のため、ドイツ語だけでなく英語でも説明されています。
通りの入口には、金メッキのブロンズの見事なレリーフがあります。へトガー作「リヒトブリンガー」(「光をもたらす者」)。
1936年にドイツの彫刻家、ベルンハルト・ヘトガー(Bernhard Hoetger)によって造られたものです。
彼が当時、ナチスの思想に共感して造られたにもかかわらず、「退廃芸術(degenerate art)」と非難された金メッキブロンズの見事なレリーフ。
※退廃芸術 … 国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が、近代美術や前衛芸術を、道徳的・人種的に堕落したものであり、ドイツの社会や民族感情を害するものであるとして禁止するために打ち出した芸術観のこと。
男が巨大な剣を持ち、3つの頭を持つ怪物と戦っている姿が印象的です。悪魔と戦う大天使ミカエル、またはドラゴンを攻撃する聖ジョージとされています。
通りにはパブ・レストラン・ギフトショップなどがありました。
その他には、ドイツ表現主義を代表する女流画家パウラ・モーダーゾーン・ベッカー(1876~1907年)の才能を見出したロゼリウスが、彼女のためにに建てた家があります。現在はパウラ・モーダーゾーン・ベッカー美術館として運営されており、チケットを購入して入場することができます。
ビール(ブラウハウス)、料理、ブレーメン中央駅について
次回の「ブレーメン観光~その②~」の記事では、
ブレーメンのビール、ブラウハウス(醸造所)、ビールに合いすぎて困るドイツ料理、宿泊したホテル、ブレーメン中央駅など
をご紹介します!
ここまで読んでいただきありがとうございました。