1900年までにロンドンには15の鉄道駅ができました。当時、世界のどの都市よりも多かったのだそうです。
19世紀末のロンドンには、幹線鉄道、郊外鉄道、貨物鉄道など、複雑な鉄道網が敷かれるようになります。
また、鉄道に従事するロンドン市民は数千人。タクシー運転手、配達員、ホテル従業員など、多くの人々が鉄道輸送に依存して生活していました。
鉄道は、ロンドン市民の日常生活になくてはならないものとなっていました。
駅員とポーズをとる都会のビジネスマンたち、1890年代
水上の交通
テムズ川は、19世紀に入ってもロンドンの貿易発展に欠かせないものでした。
国際的な海上貿易により、ロンドンは1800年には世界で最も裕福な港となっていました。
1815年に蒸気船が導入されると、川の旅客数は急速に増加。川はかつてないほど混雑し、衝突事故やその他の事故も頻繁に起こるように。
1850年代半ばには、蒸気船は年間数百万人の乗客を運ぶようになります。毎日約15,000人が蒸気船で通勤し、その数は汽車の2倍以上でした。
1878年、長旅から帰ってきたプリンセス・アリス号は、大型の石炭船と衝突。わずか数分で沈没し、640人の乗客と乗組員が溺死しました。
テムズ河沿いのイラスト
5メートル以上もの長いイラストです。
ブルネルのトンネル、1843年
1825年、ンジニアのマーク・ブルネルは、世界初の海底トンネルを建設を提案。
20年近くも問題や挫折を繰り返し、1843年にようやくテムズ・トンネルが開通しました。皮肉にも「the great bore」と呼ばれていました。
財政的には大失敗の事業でしたが、技術的には重要なブレークスルーとなったそうです。
テムズトンネルの土産品、1843年
テムズ・トンネルの開通を記念して発行されたメダリオンです。
蒸気船の導入、橋、テムズ川堤防の建設により、河川交通量は減少していきます。
1860年代にはロンドン近郊鉄道が開通し、蒸気船も衰退していきました。
1876年、テムズ川で船を運航していた5つの会社が合併し、ロンドン蒸気船会社に。チェルシーからグリニッジまで30分間隔で通年運航を続けようとしましたが、1884年には倒産してしまいました。
今回その③記事はここまでです。
写真・紹介する展示物が多いため、次回記事に続きます!
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