ラムセス2世の柱(紀元前1279-1213年頃)
花崗岩でできた柱。ラメセスの統治時代には、ナイルデルタの首都ピラメッセの神殿に設置されていました。
中央の横帯には、王のホルスの名とカルトゥーシュ(古代エジプトで使われていたヒエログリフの文字の1つで、ファラオの名前を囲む曲線)と、この都市の主神の一人である混沌の神セトから祝福を受けている様子が描かれています。
4世紀後、一部のカルトゥーシュはオソルコン2世のものに変更されました。そして、柱は彼の王朝の故郷であるブバスティスに移され、再び建てられました。
カチャカジャのステラ(紀元前589-526年頃)
石灰岩できたカチャカジャの石碑。カチャカジャは豊穣の神ミンの巫女で、さまざまな姿の太陽を崇拝している様子が描かれています。
空気と光の神シューは、太陽の船を空へと持ち上げています。
人間の頭をした2羽の鳥は、ラー(昼の太陽)とアトゥム(夕方の太陽)の精霊。
ワヒブラ将軍の像(紀元前570〜523年頃)
当時のエジプトの首都サイにあった、ワヒブラ将軍の神殿にあったもの。
祠には、死者の神オシリスの像があります。
背中の柱に書かれた文章には、ワヒブラは「エジプト南部の国境での貿易の管理者、上下エジプトの全軍の監督者」であると記されています。
彼は、サイ周辺の寺院に少なくとも12体の像を残しており、その数と大きさは、彼の地位と富を反映しています。
キング・ネクタネボ1世または2世の頭部(紀元前380~343年頃)
寺院に安置されていた像の一部です。
王を特定する碑文は残っていないものの、様式の特徴から、エジプト最後の内乱王朝の主要な王である、ネクタネボ1世または2世であることがわかります。
ネクタネボ1世はエジプト第30王朝のファラオ。ネクタネボ2世は、その孫にあたり、古代エジプト第30王朝最後のファラオかつ最後のエジプト人のファラオです。
王の鼻と額の護符であるコブラは、王を呪うために破壊されたのだそうです。おそらく、独立を果たしたエジプトがペルシャに再征服されたとき(第31王朝)、その復讐のために行われたのであろうと推測されています。
その後、新しい鼻とコブラが用意された溝にはめ込まれました。アレキサンダー大王がペルシャ帝国を征服した後、プトレマイオス朝の初期に修復されたものと考えらています。
エジプトの王座を強化するために、先人のモニュメントを修復したのだそうです。
所蔵品は800万点以上!エジプトエリア(アッシリア、メソポタミア)だけでも、まだまだ展示品はあります(;’∀’)
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